このブログのタイトルの由来にもなっている徒然草
中学の頃初めて習い
とても面白かった思いがあります。
古文とかかわりのあるような過ごし方をしてきた私は
いつからか、仁和寺から石清水八幡宮まで歩いてみたい
と思っていました。
そう、あの「仁和寺にある法師」の段です。
行動力のある夫のおかげで
とうとう達成することができました。
まず近鉄で京都駅まで行き
駅からバスで仁和寺へ。
京都のバス乗り場は
どこどこ行きと全部書いてあるので
わかりやすかったです。
仁和寺もじっくり見回りたかったんですが、
歩く時間や石清水を見る時間を考えて
仁和寺は断念しました。
私の一番の目的は
仁和寺から石清水まで歩いて
法師の分まで石清水八幡宮を拝むことです。
詳しい方はご存じでしょうが、
法師は石清水八幡宮を見に行ったのに、
石清水八幡宮のふもとの
極楽寺(現存なし)と高良を拝んで
素晴らしい!と思って帰ってしまうのです。
本来の目的である石清水へはお参りしなかったんです。
石清水はちょっと山になっているので
たくさんの人が山へ登っているのを見かけたのに
「ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて・・」
と言って。
というわけで行ってきました。
前半3時間はほぼ川沿いでした。
天神川沿いですっごく暑かったけど
川の流れはきれいで魚も泳いでたり鳥がいたり
楽しめました。
途中から川が大きくなり
いつのまにか桂川になっていました。
桂川は先日の台風豪雨の爪痕が見て取れました。
堤防や川の中にある木々に泥後があり
ここまで水が来たんだとわかりました。
桂川の川幅が半端なく広いところでも
すごく高くまで来ていたので
自然の畏ろしさを感じました。
さて、途中久世橋を越えた辺りから
景色は一変。
大通り沿いでずっと車を見てて
暑いし景色は無機質だし大変でした。
途中お昼に1時間くらい休憩しました。
この時点で3時間くらい歩いてました。
午後は40分くらい
やっと見つけた喫茶店でも休憩しました。
そうして歩き続けて5時間。
休憩含めると6時間30分くらい。
石清水八幡宮に到着しました。
上まで行ける電車がありましたが、
ここまで来たら法師の代わりにがんばらなきゃと
上まで必死に登りました。
ふもとには高良神社が残っていました。
石清水に到着して眺めたとき
法師の言葉を借りて
「年頃思ひつること果たしはべりぬ。」
って心から思いました。
足も痛いし本当にへとへとだったんですが
石清水の美しさに救われました。
ちなみに八幡宮を拝んで
携帯の歩数計を見たら
29960歩でした。
約3万歩ですね。
ホント歩いた-。
と、ここまでが目的だったので帰りは
もちろん電車に乗りました。
次の日に帰るにしても
昔の人の足腰はすごいなあと思います。
だって、仁和寺まで帰るんですもんね。
しかも今みたいな靴はないし。
法師は極楽寺や高良を見て「かばかりと心得て帰りにけり。」
と言っていたので、それはそれで良かったんじゃないかと思ってましたが、
いざ石清水八幡宮をこの目で見てみると
やっぱり仁和寺の法師も見られたら良かったのになあと思いました。
「先達はあらまほしきことなり。」
的を射たことばですね。
吉田兼好のことばが心に染みてきました。
[19回]
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